Skeletons from the closet
本当の朝の空気を知っているのは、極端な早起きか夜更かしのどちらかだと思う。
仕事の、学校の、社会の喧騒と夜のしじまのその隙間、朝がバタバタとうるさく足音を立てるのを待っている、少しの間。
私は早起きで夜更かしだ。ついでに言うと眠るのが好きだ。
就寝時間は人それぞれとはいうものの、何パターンかに分けられると思う。大まかに、だけど。
私は眠くなったら寝る。眠くなくても寝る。軽く病気なんじゃないかと思わなくもないけれど、まあいいのである。まどろみと布団が私の主人なのである。
好きなときに寝れば起きる時間もまちまちだ。三時間で起きるときもあれば、驚異の十三時間睡眠を叩き出す時もある。 人にはその人に合った睡眠時間があると言うけれど、わたしにはどれが合っているのかまるでわからない。フィットしない。試着室に立てこもっているのである。
とはいえ、ある程度の周期もあれば制御もできる。そうでなくては社会生活は営めないのである。じょしこーせーもラクじゃないのである。
特定の時間にしか眠らない人間と違い、私は全ての時間帯と仲がいい。そしてだからこそこの時期は辛くなるのだ。
夏休みが終わる。
名残り惜しくも最後の週、私は朝方とのしばしの別れを惜しむため散歩に出ていた。歩くのは好きだ。
もう少しすれば私は登校するために起きることになり、静かな朝の空気など感じる暇は無くなってしまう。
この、『目的のために起きる』というのが苦手だ。私は好きなときに寝て好きなときに起きたいのである。なんというわがままなカラダであろうか。
『風情』 という言葉の風情っぷり、つまるところの言霊的なサムシングを肌で感じながら歩いていると、近所の公園にたどり着いた。
ちょうどいい、一休みして水でも飲もうかな、と思ったら先客がいた。
レトロなデザインのベンチに、ジーンズにTシャツというラフな姿のお姉さんが缶のビールをあおりながら機嫌良さそうに歌っている。
見た目は妙に健康的というか、スタイルもいいし顔つきも美人と言っていいと思うのだけど、うっかり酔っぱらいに関わるとロクな事にならなそうなので引き返そう、と判断した瞬間。
「やあ、おはよう」
「……おはようございます」
「ちょっと付き合ってよ。ほら、ここ空いてるから。もうガラ空きだから」
「はあ」
案の定、というかここで絡まれないまま引き返せたらそれはそれで拍子抜けである。
「飲む?」
「いえ、学生ですから」
「気にすんなよう」
「弱いんですよ、どのみち」
「そっかー」
もうバカみたいと言っていいだろう。少なくとも賢くは見えない晴れ方の空を見上げて、ぼうっと時間を潰す。
「喉、渇かない?」
「ですからお酒は」
「こんなこともあろうかとー」
お姉さんはエコバッグの中からサイダーの缶を取り出し、私にくれた。
私がカシュッ、といい音をさせてプルタブを開けると、彼女は「かんぱーい」 と飲みかけのビールを向けてきた。缶と指が軽く触れ合う。
ぬるい。
ぬるいサイダーは窓際族のようなうら寂しさをもって喉元を滑り降りていく。
「このぐらいの時間にジョギングするのが趣味の子がいてさ」
お姉さんのビールは三本目。飲み終えた缶がベンチに仲良く乗っている。
「この前、死んじゃった」
その言葉は驚くほどあっさりしていたが、だからといってサイダーの甘さまで引いてくれるわけじゃない。
「思ったの。早朝にジョギングが趣味とかさ、そういう、健康第一!みたいな子でもさ、死ぬときはあっさり?さっくり?ぽくりといくんだな、って」
病気かなんかだったんだろうか。深入りする気もあまりない。ただ、この甘ったるくてぬるいサイダーをとっとと飲み干すことだけを考えていた。
「朝っぱらから飲んでる私が言うことじゃないけどさ、彼女、ロクでもない子だったんだ。生活も、男にもだらしなくてさ。趣味だけは健康的なくせに。で、まあ、そんなだからさ、友達もいなかったんだよね。私以外」
ビールの缶を置いて、彼女の手がエコバッグを探る。まだ飲むのか、と思って呆れていると、その中から出てきたのは熊のぬいぐるみだった。
「あの子が残してくれたのはこれだけ。可愛くないでしょ。変な色でさ。こればっか、沢山残していっちゃった」
山盛りのジェリービーンズみたいな色した熊のぬいぐるみの頭をひと撫でして、続ける。
「なんかもう、嫌がらせみたいにいい笑顔でさ。病室で私に言ったの。『私が持ってるデッドベア、全部貴女にあげるから』って。私はそんな趣味無いっつの」
今の私からすれば、このお姉さんもたいがい嫌がらせのような存在ではある。やっぱりいい笑顔をしているのである。
「そうだ、この子。貴女にあげる。私の話に付き合ってくれた、お礼」
こうなると最早完全に嫌がらせではあるのだが、どうだろう。そんないわくつきのもの、もらうのも拒否するのもどうかという話である。
「いえ、悪いです」
「悪くないです。ほれ」
有無をいわさず渡された。思わずまじまじと見てしまう。可愛くないとは言うものの、愛嬌のある顔立ちと言えなくもない。
「よし、こんな酔っぱらいの相手させて悪かったね。ありがと。それじゃ、ね」
彼女は缶とエコバッグを抱えて立ち上がると、歩いていってしまった。
ひとりぽつんと、いや熊もいるか。とにかく残されて呆然とする私である。
帰宅し、はてこの珍妙な熊のぬいぐるみはどこに置いたものかとひとしきり考えた挙句、クローゼットの中へと放り込んだ。
すぐに御炊き上げるのも不義理であろう。だからといって押し入れはいけない。知らないうちに動いたり、伸びたり、増えたりする。気づいたら本物の熊のような大きさになったケミカルカラーのぬいぐるみが私の頭を丸かじり、である。
まあそれは冗談だが、気づいたらカビていた、などというのもやはり不人情であろう。
そんなわけで、クローゼットである。除湿剤とともに私の衣服を守ってくれているのである。
夏が終わる。