『キュレーション・ミュージック』について
たまにはポップ音楽史についてまじめに書いてみようと思う。他ジャンルから来られた方には申し訳ない気もするが、興味を持つきっかけにでもなってくれれば、もっと言うならば時間つぶしになれば幸いだ。
twitterで松山晋也氏が発言していた『キュレーション・ミュージック』という言葉について、擁護してみるというか、解釈をしてみる。
ネットのキュレーション・サイトが大問題になっているけど、音楽だって同じこと。90年代以降の作品の多くが「悪くはないけど、面白くもない」ものになっちゃってるのは、それらが単なるキュレーション・ミュージックにすぎないから。当たり障りのないものほどつまらないものはない。
— 松山晋也 shinyaMATSUYAMA (@agostoshinya) 2016年12月12日
時事ネタに寄ってうまいこと言ったらんかなという気概が滑っている、というのは理解できるのだが、だからといって言っていることが的外れだとは思わないし、そこに関しては松山晋也氏という批評家としてのキャラも関わってくるように思う。
この話題に触れる以上、どうしても話が大きくなってしまうのだが、『新しい音楽』として想定されるものは、既存のジャンルに対して『混ぜる』か『読み違える』か、だと思う。
そもそもロックンロール、というジャンルがロカビリーやR&B、カントリーといった多様な素地を吸い込んだジャンルであり、『ロック』の歴史はThe BeatlesやThe Rolling Stonesの昔から『自分の良いと思ったものを体現する』という意味での『キュレーション・ミュージック』という側面がある。
一方、たとえばジャマイカでJazzを誤読、ないし読み替えたものがSKAになり、Reggaeへと発展していっただとか、ある種のパロディ/ディフォルメとしてのVenomを本気で読み込んでしまった北欧のBlack Metalだといった、辺境(と、敢えて言うが)に多いのが読み替えの新種発見だ。
松山晋也というひとはそもそもワールド・ミュージック寄りの人間、それも日本で有数のリスナー、のはずなので、思想が後者に寄る、というのは理解できるように思う。
なおかつ、80年代はMIDIによって拡張されていくTechno Pop~Technoや、サンプラーが活躍したHIP HOPといった『テクノロジーによる新たな音楽の発見』があったわけで、それらが一段落した90年代以降をより強い『再発見』ないし『リスペクト』の時代と見るのもそこまで間違っていないようには思う。
要は『サニーデイ・サービスが活躍したからネタ元であるはっぴいえんどが再発された』みたいな問題について、『悪くはないけど、面白くもない』という感想を抱くのがそこまで誤りか、という話であって、ここまで来ると好みなのではないかな、というのが僕の正直な感想だ。
また、『90年代以降の作品の多く』という主語の大きさについても、松山晋也ほど(病的に、とすら言って良いと思うぐらい)聴いている人間が発するからこそ説得力があるのであって、その点を批判できるほど我々は音楽を聴いているか?と考えたらNO、なのではないか。
繰り返しになるが、この発言は松山晋也という、日本有数のリスナーでもあるパーソナルを知らなければ批判しづらいものなのでそこはtwitterのインスタントさがあまり良い方向に作用していないな、という感じだ。
これ、どちらかというと音楽に死ぬほど詳しい人間が『つまらなくなった』って言ってるので共感しづらいよね、ぐらいの話題です。
— クローカ⊿ (@chrorograph) 2016年12月13日
※あまりに『松山晋也は音楽を聴きまくっている』としか言っていないので一応追記しておくと、たとえば(ムックにまとまっている)『めかくしプレイ』などを読むと彼の知識量とその引き出し方についてが伝わるのではと思う。