一人の少女が飛行機から飛び降りる
旅客機に少女が乗っている。席は窓際で、残りの乗客はすべて眠っている。乗務員もおそらくは、すべて。機内には静かな寝息のみが漂っている。睡魔。旅客機は何事もなく飛んでいる。
窓の外、主翼の上で妖精が少女のことを見ている。妖精、おそらくは。翼を持った人形のように小さな人型のもの。少女は気付く。手を振る。微笑む。妖精は誘う。
空を泳いでいる。
眠りの中で旅客機が飛んでいる。貨物室の中、一羽の小鳥が目を覚ます。その鳴き声は誰の目も覚まさない程に微かだ。
少女はため息をつく。外の妖精に微笑んでみせる。私もそっちへ行きたいんだよ、とこれは独り言にしかならない。
妖精は誘いを繰り返す。あくまで可愛らしく、その口が動くことはない。踊る。踊る。少女が真似をしようとして、やめる。
貨物室の小鳥は籠を恨んでいる。周囲にはあらゆる動物たちが積まれ、そのすべてが眠っている。小鳥は鳴くことを止める。
少女の鼻歌だけが機内に響いている。本当は口笛を吹きたいが少女はそれができない。クラシックのどれかだということだけがわかる。取り立てて下手とも上手とも言えない出来のそれが響いている。妖精が一度だけ顔をしかめた。
妖精が口を開く。それは少女の真似のように見える。別に少女の興味を惹きたいからではない。なんとなく、だ。
眠ったままだった筈の乗客、乗務員たちから一斉に声がこぼれる。それらはすべて寝言だ。思い思いの夢を見ている。あるいは、旅客機すらも。
空を泳いでいる。
妖精が少女へと話しかける。一枚の窓ガラスを隔て何を言っているのかはまるで分からない。
寝言でやかましくなった機内にはもう少女の鼻歌は響かない。小鳥も鳴くことはない。少女はまっすぐ妖精を眺めている。その顔を、表情を。
少女は誘いに応じることを決めた。窓ガラスを力一杯殴りつければ拍子抜けするほどあっさりと割れた。明らかに少女の体格では通り抜けられない大きさの窓を吸い込まれるように出ていく。妖精が微笑む。
主翼の上で少女は妖精が消えたことに気付く。周りを見回す。晴天。雲が速いのではなく旅客機の速度があるのだということを一瞬忘れる。
妖精は反対側の主翼へと姿を現す。少女に気付かれないよう隠れる。二人のハミングが一瞬だけすべての音を消してみせる。
空は空ではない。
一人の少女が飛行機から飛び降りる。
落ちていく少女を見届けた妖精は、割れた窓の中へと飛び込む。
旅客機の窓が元通りになる。
すべてが目を覚ます。
(本作は創元SF短編賞に応募したものの抜粋です)