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虚空の黙祷者

クローカ/黒岡衛星の日記帳

Book of Saturday

だからきっと、それは、嘘の話だ。

公園のベンチに座る君は一冊の本を持っている。単行本だが、薄い。簡素な表紙にはタイトルが書かれているのだけど、意味が覚えられず、すぐに忘れてしまう言葉がアトランダムに選ばれているような気分になる。君はその本を開く。匂い立つ活字に心まで持っていかれそうになるのを必死でこらえる。天気は晴れ。まだ寒い、冬のことだ。

君は読む。本を、文字を、文章を。美しくも稚拙な、感動的と言っていい物語を。それはひとりの少女の伝記だ。女性の伝記と言えないところに悲劇があるのかもしれない。

少女は、少女のまま、死んだ。

君は本に目を落とす。くすんだ星がそこにはある。君の瞳が見せる幻。誰にでも見えるもの、君にしか見せないもの。仕掛け絵本のように、それは姿を変えていく。君の持っているその本に、陽が沈みそして昇っていく。繰り返す。

本には、少女は寂しかった、とある。そうだろうか。君は疑いながら読み進めていく。君は少女の何かを知っている。誰が書いたものかわからない本を、疑いながら手に取った。

少女は、本の中で旅に憧れたことを告白している。移り変わる情景。見たことのない景色を瞳が次々と映していく。それは君の忘れている景色、もう一つの自分だったかもしれない言葉。風景、美しいもの。少女の憧れを、君は知っていた。

誰かと誰かの口喧嘩に、少女は耳を塞いでいた。寂しかった少女の、孤独の味わいが君の舌先を痺れさせる。君は少女の表情について思い出そうとするが、それは笑顔という言葉に遮られてしまう。少女という存在を守るもの。君を突き放そうとするもの。それは君の知る少女だったのだろうか。

少女が君について言及している。君は少しだけ鼓動を速めそれを追っていくが、ついに捕まえることは出来なかった。君は読み取ることができない。君は少女にとって特別な存在だったということだけがかろうじて理解できた。

難解であること。君は少女を読んでいる。今までの、そしてこれからの、少女について。今はもうない、少女について。それは格好の研究材料だが、君は読むことをやめない。

一冊の本が描き出すもの。君の目の前に現れては消えていく景色、セット、玩具箱。飛び出した仕掛けは空気中へと消えて行く。君に必要な言葉、鍵をいくつか残していく。忘れたくないと君が強く思うものだけが残っている。君は思い違いをしていないか、この時になって確認する。大きな、そして小さな、少女の記憶。大小の少女の影が現れては消える。君は扉を見つけられずにいる。焦ってはいけない。だいじょうぶ。それもまた少女の残した言葉なのだから。

君は少女の友達だった。君は少女が好きだった。少女は君を見て微笑んだ。静かな間があった。少しだけ多くを望むこと。ゆるやかに落ちていく音。忘れてしまいそうな瞬間。すべてはここにあるのだと。

さようなら。